大審問官を現代日本で読み解く

文学

大審問官を現代日本で読み解くメモ【つづき】“一つの罪に対して、罰は二種類ある”
つまり地上の罰(社会的罰)と、天上の罰(内面への罰)だ。ゾシマは、神のみが“良心の呵責”を認識でき、科学では無理という。例えば光市母子殺害事件

後、犯人の手紙が、証拠として公開された。

「選ばれし人間は…私を裁けるものはこの世におらず」

これら供述は『罪と罰』『ドラえもん』の丸写しだが、夢は小説家らしい。

一方で精神医学では、良心が欠落した異常者“サイコパス”の存在を唱える。どちらが正しいのか、科学は、人の内面をも暴けるのか?

■大審問官は居直る『自由は、三次元の人間にとって荷が重すぎる』

民衆の「闘争・貧困」解決策は、取引しかないと。たしかに我々は、『バックトゥザフューチャー』の様に四次元的に行動できない。日本は今、スピリチュアルブームだが、占い師が、詐欺師かどうかも神秘だ。

自由を苦痛に感じる弱者は、現代日本にも確実に存在する。例えば刑務所を出所した老人が、わざと万引きをくり返し、囚人に戻りたがるというニュースを聞く。

■「不死がなければ善もない」《一巻182p》

コレは、魂の不滅がないなら因果応報が機能しない、ことか。

つまり現世で無実の青年力士が、(ビール瓶で撲殺される様ないわれなき現世の罰が)来世で報われないならば、善悪は無意味だ。

司法の補償も怪しいものだ。時津風部屋で07年6月26日に撲殺がおき、立件されたのは約3ヵ月後。それもそのはず警察は、診断書を書換え妥当な検視も怠った。「耳は裂けアザ・火傷だらけの死体」は「心不全」と診断された。我々が欲する「くもりなきメガネ」は、科学がもたらすのか?それとも、神が与えた自由には、善悪の審判は含まれないのか?

戦後日本は国民宗教を失った。法律を補完する社会規範を失った以上、地上の罰に頼らざるを得ない。それが現代日本の現状だ。ゾシマが誇る様な“教会”を持たない日本における死刑制度は…

あかん、やっぱりおもんない。退屈。
高校時代の同級生が昔、「『カラマーゾフ』なんか、最後の方は早く続きが読みたくて仕方なくなった」と言ってたし、ある女流作家(金城ひとみだったかな?)も、「1?2巻は数ヶ月、3巻以降は数日で読めた」みたいなことを書いていたもんだから、1?2巻で相当退屈したにも関わらず、半ば意地で、でも少し期待しながら、3巻も数ヶ月かけ、とぎれとぎれでやっと読了した。

正直な感想=愛読者の皆さん、『カラマーゾフ』ってどこがそんなにいいの?

ミーチャの大時代的で、芝居じみた長ったらしい台詞なんてシラケッパナシ。単に女と酒に溺れやすい激情型人間にしか見えない。父親殺しというモチーフも現代の日本では極々日常的に報道されているし、別に新鮮味もないしなあ。3巻ではアリョーシャやイワンは全く登場せず、ミーチャの一人舞台だが、私にとってはあまり興味深いキャラではない。カラマーゾフも『罪と罰』位の長さ(文庫2巻)で、丁度良い話ではなかろうか。どう考えても、物語としてはダラダラし過ぎた失敗作だと思う。

4?5巻どうしようかなあ。こうなりゃ、意地でも読むしかないか。

ミーチャ
ミーチャと予審判事、検事とのモークロエ(取り調べ場所)でのやり取りが面白かった。ミーチャの「恥辱」について検事たちが理解できなかったのはやむを得ないだろう。ミーチャはグリゴーリーに対しては半殺しにしたにも関わらず、そのことは父殺しの事に比べて対して関心を持っていない。罪の意識も持っていないと思う。

召使であったとしても一人の人間であるので(しかも自分の命の恩人でもある)、もっと殴ったことに対して罪の意識を持つべきだと思った。助かったからそれでよかった、という問題ではないと思う。
カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

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